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静岡・牧之原市に「女神(めかみ)」「男神(おかみ)」という珍しい地名があります。川を挟んで隣り合うこの地域には、大蛇伝説や子宝にまつわる風習が今も息づいています。その由来を調査しました。
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへ謎多き「女神」「男神」の地名
静岡県中部にある牧之原市。その南部を流れる萩間川を挟んで、西に女神、東に男神という地名があります。
周囲は田んぼと住宅がまばらに広がるのどかな地帯。にむらあつとリポーターが、まずは周辺で聞き込み調査をします。
女神にある大きな企業の受付の人に聞いてみると、「女神と男神にはそれぞれ山があって、そこが由来ではないか」と教えてくれました。
さらに生まれも育ちも女神という住民から、興味深い情報が得られました。
女神在住の野ヶ本明さん:
伝え聞いているのは、女神の方にメスの大蛇がいて、男神にオスの大蛇がいると。大蛇の穴と言って、山の頂上にヘビが住んでいる穴があったと言われています
情報を整理すると、「女神」「男神」にはシンボルとなる山があり、それぞれの山に大蛇が住む伝説が伝わっていることがわかりました。
大蛇伝説の真相を求めて
伝説の真相を探るため、郷土の偉人や史跡を研究している牧之原市史料館の長谷川倫和さんに話を聞きました。
長谷川さんが見せてくれたのは「静岡県伝説昔話集」という本です。
【男神と女神】 (静岡県伝説昔話集より)
大昔、男神の石灰山には雄の大蛇がすんでおり女神の帝釋山には雌の大蛇がすんでいた。帝釋山上には其の大蛇の穴と稱(しょう)せられる空洞がある。
そこには「男神と女神」と書かれた伝説が記されており、その内容は住民の野ヶ本さんから聞いた話と一致していました。
次に見せてもらったのは、一目で古さがわかるレベルが高そうな資料。
10代将軍・徳川家治の老中・田沼意次が牧之原市にあった相良藩の初代藩主だったころ、約230年前の江戸時代の資料です。
この資料にも「男神女神」の地名が記されていました。
少なくとも江戸中期~後期には「男神女神」という地名があったことがわかります。
そして伝説に出て来る山が実在することもわかりました。
答えは山にあるのか?
「行って私たちの目で確かめてみましょう」と話す史料館の長谷川さんと一緒に、山に登ることになりました。
女神山に隠された秘密
まず向かったのは女神山です。
それまで降っていた雨もあがり、山頂を目指して登ること約10分。
そこには「女神社(めかみしゃ)」という神社がありました。この神社には子宝の神「イザナミノミコト」が祭られています。
ここでちょっと変わったものに気づきました。
神社の格子に、さまざまな色の袋がつり下げられています。
牧之原市資料館・長谷川倫和さん:
実は袋の底が抜けているのがわかりますか? これは「底なしの袋」と言います
底なしの袋は参拝者が、安産を祈願するため奉納したものです。
実は牧之原市には今も「子宝・子授け」の伝説や風習が多く残っています。女神社の底なしの袋も、そのひとつなのです。
大蛇の穴は誰も見たことがないそうです。実在するのかどうかわかりませんが、とても雰囲気のある山でした。
男神山と豊作・子孫繁栄の祭り
女神山と対をなす男神山は天然記念物に指定されている石灰岩の山です。
そのふもとには「イザナギノミコト」を祭った「男神社(おかみしゃ)」があります。
男神社には底なしの袋のような、直接的な子宝祈願の風習はありませんが、近くでは鎌倉時代から伝わる豊作と子孫繁栄を祈願する「蛭ヶ谷の田遊び」というお祭りが行われているそうです。
結局、男神女神の地名の由来はなんだったのでしょうか。
牧之原市資料館・長谷川倫和さん:
この地域では子宝や子授け祈願、そして雌雄の大蛇のイメージがあり、そこから男神女神という地名につながっていったのではないでしょうか
時代をつなぐ「女男橋」
最後に案内されたのは、女神と男神をつなぐ橋のたもとでした。
橋の名前は「女男橋」と書いて「めおとばし」と読みます。
この橋は後世に作られたものですが、女神と男神の文化が現代にも受け継がれている証でもあります。
牧之原市の「女神」「男神」という地名は、大蛇伝説や子宝・子授けの風習など、古くから伝わる文化や信仰が今も息づいていることを感じさせてくれます。
この地を訪れると、まるで時代を超えて、いにしえの物語の中に迷い込んだような不思議な体験ができるかもしれません。
■スポット名 女神山・男神山
■住所 牧之原市女神110 (女神社)
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